1995年の阪神・淡路大震災での子どもたちのケアをスタートさせた2月5日、リュックに画用紙やクレヨン、色鉛筆などを詰め込んで、傘をさして避難所に向かいました。
「心のケア」が一般的ではなかった当時は避難所でおえかきをさせてもらうだけで大変でした。屋内のスペースをお借りすることは難しく、子どもたちは校庭やプールサイドに敷いたダンボールの上で夢中で絵を描き、「寒い」という子どもはいませんでしたし、わたしたちボランティアも寒かった記憶はありません。絵を描いたり体を動かして遊んだり、ほとんどの子どもは一見元気なように見えましたが、絵の中にはそれぞれの苦しみ、驚き、ショック、不安、怖さなどが次々と表れました。子どもたちは、その大きなパワーで目の前の様々な壁を乗り越えて明日を迎えていたのです。
このときに子どもたちが描いた絵は子どもの心の回復過程を知る上でとても貴重なものになりましたし、一見無意味に見える子どもの行動がとても重要な意味を持っていることを教えてくれました。
そして今。新型コロナウィルス感染拡大防止のための自粛や規制はもう一年になります。
震災のときのような突発的で、ある意味瞬間的なできごとにより心にダメージを受けた子どもに対するケアではなく、長く続くストレス、友だちとじゃれあって遊べない、会話を楽しみながら給食の時間を過ごせないことなどへのケアが考えれらなければなりません。
26周年を迎えて、色彩楽園はまた新しい課題を突きつけられています。でも、きっと子どもたちと一緒に乗り越えられると思っています。