神戸の「あの日」は防災とボランティアの日
24年が経ちました。
「あの日」も亥年でした。
携帯電話もインターネットもなかった「あの日」、何が起きたのかを知るのに時間がかかりました。
まさか、これほどまでに信じられない光景が広がっているとは・・
家族や友人たちの安全が確認できた後、まず頭に浮かんだのは、
「子どもたちはどうしているんだろう?」
「この経験は子どもの成長にどう影響するんだろう?」
「子どもたちが20歳になったとき、この経験はどんな風に残るんだろう?」
震災から3日目、「救援物資でクレヨンを送ってもらえませんか?」と東京に電話をかけました。
すぐに、あおぞら色彩楽園の前身「空とぶ子どものアトリエ」がスタートしました。
子どもたちは実にたくさんの絵を描きました。
しかし、最初から絵を描くことができた訳ではありません。
お相撲をとったり、おんぶしてかけっこしたり、神戸のあちこちで一緒に遊びました。
その後、子どもたちは時が来ると小さな心の中に抱えた大きな衝撃や苦しみを絵で、色で、形で教えてくれました。
このときの子どもの心の回復過程は、今も多くの子どもたちに生かされています。
「あの日」、確かに私たちは多くの大切なものを失いましたが、今の子どもたちの心を支え、元気を取り戻すために必要なことを残してくれたのです。
神戸には、色彩楽園があります。
24年間で出会ったすべての子どもたちが、この場を守り、支えてくれています。
あの体験で得たもの、知ったこと、感じたこと、経験したことを今を生きている、そしてこれからを生きる子どもたちと分かち合うことをこれからも目指します。
2019/Jan/17
Category :news / おえかきケアボランティア